頑張れATOK
■仮名漢字変換システム
仮名漢字変換システムをわざわざ購入している企業は少ないかもしれない。もともとOSに付属するものをわざわざ買うのは無駄である。圧倒的に性能差があるなら別だが、今となってはそれほど大きく変わるわけでもない。
だが、あったら便利な機能も多い。筆者は、ここ数年ATOKを使っている。いろいろ不満もあるが、ちょっとしたところが便利だし、何より開発元のジャストシステムには日本人が作った会社ということで応援したい気持ちがあるからだ。
ちなみにATOKの前はエー・アイ・ソフトのWXGを使っていた。エー・アイ・ソフトはセイコーエプソンの子会社であり、WXGの初期バージョン(WX2/WX3)をマイクロソフトにOEM提供していたことでも知られる。WXGは2000年頃に開発を終了し、エー・アイ・ソフトもエプソン販売に吸収合併された。DOS時代はバックスのVJEを使っていた。
大学時代にATOK4を使っていたが(ATOK4)、あまりいい印象を持っていなかった。WXGが開発停止となったこと、ATOKの評判が良くなってきたことから試しに使ってみたところ案外良かったので、今に至るまで使い続けている。
■ATOK 30年
仮名漢字変換システムの老舗ATOKが、今年もバージョンアップした。ATOKの前身であるKTISの発売が1982年だからちょうど30年である。開発・発売元のジャストシステムでは「ATOK 30周年記念サイト」 が公開されている。
ATOKの歴史は「パソコン創世記」(富田倫生著)に詳しい。全文が「青空文庫」として無償公開されているが、 相当な分量なので書籍の方が読みやすいと思う。興味をお持ちの方は、ぜひ復刊リクエストに投票して欲しい。
ATOKが登場した頃、仮名漢字変換システムは「日本語入力FEP」と呼ばれていた。FEPは「フロントエンドプロセッサ」の略である。ただし、メインフレームでは、ネットワーク通信を行なう場合などで「コンピュータシステムの前段でデータを処理するシステム」という意味でFEPという言葉を使っていた。文脈として紛らわしくはないと思うのだが、その後マイクロソフトがIME(Input Method Editor)という用語を使い出し、これが定着した。
■ATOKの良さ
初期のATOKは必ずしも評判が良いものではなかったが、ジャストシステムはさまざまな批判を真摯に受け止めプログラムを改善するとともに、1992年に「ATOK監修委員会」が発足し、開発者以外の意見が反映されるようになった。
ATOKの変換精度自体はマイクロソフトのIMEと大きく違うわけではない。どちらも大きなミスをすることもある。そもそも、仮名文字だけで常に「正しい変換」ができるはずもない。ずっと昔、マイクロソフトが「今回のMS-IMEは地名を重視しました、たとえば『沖縄県宜野湾市』と変換できます」と自慢していた。筆者は「でも、沖縄県会議員にワンさんという人がいたら『沖縄県議のワン氏』が正解なのに」と思った記憶がある。
ATOKの良さは、変換精度は当然として、表記ミスの指摘や、変換と連動した辞書検索にある。
現代仮名遣いは、表音を基礎にしているが、いくつかの覚えにくい例外がある。たとえば「鼻血」は「血」の意味を重視して「ハナヂ」である。「小遣い」は「つかう」という意味が薄れているが「コヅカイ」である。ところが「地表」は「チヒョウ」と表記するのに「地面」は「ジメン」が正しい。
「オー」を「オウ」と表記するか「オオ」と表記するかはもっと難しい。文部科学省が出した内閣告示「現代仮名遣い」にはこう書いてある。
6 次のような語は,オ列の仮名に「お」を添えて書く。
(中略)
これらは,歴史的仮名遣いでオ列の仮名に「ほ」又は「を」が続くものであって,オ列の長音として発音されるか,オ・オ,コ・オのように発音されるかにかかわらず,オ列の仮名に「お」を添えて書くものである。
つまり、現代仮名遣いを使うには、歴史的仮名遣いの知識が要求されることになる。
これほど厄介な仮名遣いだが、ATOKを使えば間違いを指摘してくれ、さらに自動的に正しい表記に直してくれる。ありがたいことだ。
辞書検索機能も重宝している。オンライン辞書はレスポンスが悪いし、別ウィンドウを開くのも面倒だ。変換中にダイレクトに辞書が引けるのは効率がよい。
■ATOKで変換できない言葉
なかなか便利なATOKだか、1つ重大な欠点がある。ATOK監修委員会が使うべきではないと判断した言葉は変換辞書に収録されていない。いわゆる「不快語」や「差別語」である。
不快語や差別語は、読みたくない人も多いだろうからわざわざ書かない。しかし、「不快語」はともなく、「差別語」は差別する文脈で初めて意味を持つ言葉である。一律に禁止、それも「無かったことにしてしまう」というのは賛成できない。
ジャストシステムの意見は、同社のWebサイトで「変換辞書をめぐるFAQ」に掲載されているが、筆者は納得できない。他人が嫌がる言葉をわざわざ使うのは無礼だが、変換すらできないのは行きすぎである。
たとえば「支那(しな)」はATOKでもMS-IMEでも変換できない。本来は差別語ではなく、秦王朝に由来するという説もあるくらい古い言葉である。清朝末期には、王朝や政権を超えた固有名詞ひとつとして中国人自身によって「支那」が使われている。中国革命の父として、政治的立場を超えて支持されている孫文も使っている。
ただし、中華民国成立後「支那という言葉は使わないで欲しい」という要請があったため、公文書から消え、日常的には差別的な用法だけが残った。これが問題とされているらしい。
もっとひどい例もある。「コビト」が「小人」に変換できないのだ。「小人」を差別的な文脈で使うことがあるのは理解できる。世の中には、常に差別的に使われる言葉があり、文字を見るだけで不快に思う場合があるのも分かる。しかし「小人」は問題ないだろうと筆者は思うのである。これでは「指輪物語」の書評も書けない(「指輪物語」は小人族ホビットの青年が主人公)。
関西では、独特のアクセントで「チョウセン」と呼ぶと、差別語になる。「朝鮮半島」や「北朝鮮」は問題ない。「コビト」と「シナ」の例から考えると、「チョウセン」も変換してはいけないことになる。
その他、女性の身体の部分を示す用語の一部も変換できない。俗語が変換できないならともかく、純然とした医学用語なのに変換できないのは理解に苦しむ。調べたところ男性については全て変換できるようだ。極端な言い方をすると、女性の身体の一部が「不快語」として認識されているわけで、世の女性たちはジャストシステムにクレームを付けた方がいい。
「辞書に登録すればいい」と多くの人からアドバイスをいただいたが、数年に1回しか使わない単語をわざわざ登録する意味はない。利用頻度が低いからこそ辞書に登録しておいて欲しいものである。
このように、大きな問題もあるATOKだが、単独販売される仮名漢字変換システムとしては事実上唯一の製品なので、これからも継続して開発を続けて欲しいものである。
なお、変換できない単語でも、辞書を組み込んでおけば、辞書検索の結果をクリップボード経由でコピーできる。ジャストシステムも、辞書の売り上げが増えるので喜ばしいことだろう。