お客様の中にMCITPはいらっしゃいませんか?
●お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか?
「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか」というシーンがドラマでたまにある。筆者は新幹線で実際にアナウンスを聞いたこともある。名乗り出た人を見たことはないが、きっといるのだろう。適切な処置ができればなかなか格好いいシーンだ。
「ヒポクラテスたち」という映画がある。キャンティーズ解散後、伊藤蘭の復帰第一作である。監督の大森一樹は自主制作映画出身であり、本作にもその色が強く残っている。友人が三条京阪でのロケを目撃した時「どこのアマチュア映画かと思った」くらいである。
「ヒポクラテスたち」は、医学部の6年生を描いた群像劇で、オープニングはこんなシーンだった。
(救急車の音、交通事故があったらしい)
「おれ、危ないとこやったわ。こんな本(医学書)持っててんから」
「そんなんまだええわ、おれなんかこれ(白衣)持ってたんやで」
人身事故があって、近くに医者がいたら、救急車が着くまでの応急処置を求められるのは当然だが、6年生とは言え、学生に要求するのは酷というものだ。ちなみに大森一樹監督も医師免許を持っているが、医師経験はない。別の映画でロケ隊に病人が出たとき「監督、ちょっと診てあげてください」と言われ「あほか、患者を殺す気か」と言ったとか。
ITエンジニアが、電車や飛行機の中で呼び出されることはないだろうが、もし呼ばれたとしても「ヒポクラテスたち」の学生と同様、きっと身分を偽るに違いない。学生や大森一樹監督と違い、技術が足りないわけではない。ITシステムの場合は、それぞれがユニークな(唯一の)構成であり、異常事態を収拾するのは担当者でなければ不可能だからだ。人間はどんなにユニークな発想をする人でも生理的には同じである。考えてみればこのほうが不思議な話である。
だから、もし緊急事態があるとしたら「システムが異常なので担当エンジニアを呼んでください」ということになる。決して「(誰でもいいので)IT技術者の方はいらっしゃいませんか」とはならない。
●お客様の中にMCITPはいらっしゃいませんか?
さて、あり得ない話ではあるが「お客様の中にMCITPはいらっしゃいませんか?」と呼び出されるシーンについて考えてみよう。MCITPは、マイクロソフト認定技術者(MCP)の上位資格で「Microsoft Certified IT Professional」のことである。OSのインストールから構成、トラブルシューティングまでできる技能の証明ということになっている。
システム障害はアプリケーションレベルで起きることが多いので、OSの知識が直接役に立つことは少ない。もちろんOSのバグがアプリケーションに影響を及ぼすことはある。しかし、アプリケーションを開発する過程でOSのバグを回避するように作るのが普通なので、MCITPが呼び出されることはないだろう。呼び出されるとしたら、やはりアプリケーションを設計・作成したエンジニアである。
たとえばこんな状況が想像できるだろうか。
現在、列車運行システムの画面が青くなり、エラーコード7Eを表示しています。お客様の中で、どなたかMCITPの方はいらっしゃいますでしょうか。
たぶんない。いや絶対ない。仮に列車運行システムにWindowsを使っていたとしても多重化されているだろうから、自動的にバックアップ系に切り替わるはずだ。それに、STOPエラーの対応は多くの場合、修正プログラムのインストールだ。運行中に対応できない。飛行機だったら絶望的だ(飛行機の運行システムにSTOPエラーが出た段階で絶望的だ)。
●アプリケーションこそがすべて
一般に、ITシステムとはネットワークでもOSでもなく、アプリケーションのことを指す。ウソだと思ったらみなさんのご両親に「コンピュータで動作するプログラムって何をイメージする?」とたずねてみて欲しい。ご両親がITエンジニアでなければ、Webブラウザとメールクライアント、せいぜいWordやExcelだ。Windowsを挙げる人もいるかも知れないが、NETLOGONサービスとかPrint Spoolerと言う人は皆無だろう。
ビジネスでコンピュータを利用している人も基本的には変わらない。経理部門の人は、経理システムこそがコンピュータである。それも内部構造はどうでも良くて、操作手順が重要である。ネットワークはもちろん、OSですら興味の範疇ではない。筆者は職業柄多くの利用者と話をするが、自分が使っているOSのバージョンを答えられない人は驚くほど多い。サーバーはもちろんクライアントについても答えられない。仕事に関係ないからだ。
もし、あなたがOSのエンジニアだとして(ネットワークエンジニアでも構わない)、顧客が使っているアプリケーションのことに詳しくなかったらどうなるか。おそらく、顧客はあなたのことをエンジニアとして信頼しない。いくらOSの機能や構成に詳しくても、そんなことは関係ない。顧客にとってはアプリケーションこそがITだからだ。
だから、顧客と接する場合は、まず顧客が使っているアプリケーションについて深く理解しておく必要がある。ここで「アプリケーションには詳しくないもんで…」などと言い訳をするようでは、顧客の信頼は得られない。内部構造まで踏み込んで理解する必要はないが、用語と操作については一通り知っておく必要がある。
一般にネットワークエンジニアやOSのエンジニアはOffice系のアプリケーションに弱い。筆者もそうだ。同僚のネットワーク/UNIX担当のエンジニアはExcelとWordの質問に答えられず、親から「お前、本当に仕事しているか」と言われたらしい。
これでは顧客の信頼が得られない。筆者がOffice 2010のセミナーに参加したのも顧客の信頼を得るための勉強をするためだ(というのはウソで、本当は冴子先生に会うためだが)。
読者のみなさんは、顧客からアプリケーションのことについて相談されても逃げないでほしい。それが顧客の信頼をつかむコツである。
●追記: お客様の中にお医者様がいらっしゃった
知り合いの内科医に「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか」とアナウンスされたらどうするか尋ねたことがある。「知らん顔する」と言われて驚いた。「専門外かも知れないし、道具もないから恐くて診察なんかできない」ということだった。そうは言いつつ、本当は申し出るのではないかと思うが、かなり勇気のいる行動のようである。やはり人命に直接関わる仕事は責任も重いのだ。