スライドで見る“伝説”のIT企業――Digital Equipment Corporation
独創的なテクノロジーで1970~80年代のIT市場をけん引
1970~80年代のIT市場をけん引したDEC
Digital Equipment Corporation(DEC)は、1957年に米国マサチューセッツ州ボストン郊外のメイナードで誕生したコンピュータ企業である。1998年にCompaqに買収されるまで、ハードウェア/ソフトウェアにおいて数々の独創的なテクノロジーを世に送り出してきた(その後、2001年にCompaqはHewlett-Packardに吸収合併される)。本稿では、1970年代~1980年代のIT市場をけん引した彼らの歴史と製品、テクノロジーをスライドショーで振り返ってみる。
(横山哲也/グローバルナレッジネットワーク)

DEC初のコンピュータ「PDP-1」(1957年)
DECの最初のコンピュータ製品が「PDP-1」だ。PDPは「Programmed Data Processor」の略である。社名にも製品名にも「コンピュータ」の文字がないのは、当時の投資家は「コンピュータは利益を生まない」と思っていたからだとされている。
PDP-1は、ブラウン管ディスプレイとライトペンを使った対話処理が可能であり、バッチ処理中心の時代にあっては画期的なものだった。創業者であるケン・オルセン氏は「コンピュータは身近で実用的な道具であるべきだ」という強い信念を持っていたため、バッチ処理中心だった時代に、DECのコンピュータはすべて対話処理を中心に考えられている。
【参考サイト】DECの歴史(日本HP)
[URL]http://h50146.www5.hp.com/products/software/oe/openvms/history/digital/40th/index.html

最初のヒット商品となった12ビットCPU「PDP-8」(1965年)
「PDP-8」は、1965年に発表された12ビットCPUで、DEC最初のヒット商品である。当時流行していた「ミニスカート」になぞらえて「ミニコン(ミニコンピュータ)」ということばが生まれた。オルセン氏が「ミニコン」ということばを嫌ったのは、「ミニスカート」からの連想を避けたかったからかもしれない。
主記憶装置は、標準4,096ワード(6KB相当)、最大3万2,768ワード(48KB相当)であった。当時としても小規模なシステムであったが、安価であり、手軽に導入できた。のちにPDP-8互換のマイクロプロセッサも製造され、端末装置やワープロ専用機などに採用された。
【参考サイト】DECマシンの歴史(日本HP)
[URL]http://h50146.www5.hp.com/products/software/oe/openvms/history/digital/comp/index.html

16ビットCPUに進化した「PDP-11」(1970年)
1964年にIBMが「System 360」を発表してから、8ビットを単位とする「バイト」処理の重要性が高まってきた。「PDP-11」は、こうした流れを受けて1970年に発表された16ビットCPUである。
整然とした命令体系は、のちに8ビットマイクロプロセッサのモトローラ「MC6809」やモステクノロジー「6502」などに強い影響を与えた。また、UNIXやC言語の研究にも広く使われた。C言語の++演算子やポインタの加減算と配列の操作は、PDP-11のアセンブリ命令をほぼそのまま実装したものである。
メモリ空間は最大64Kバイト、一部上位機種では物理メモリ空間を18ビット(256KB)あるいは22ビット(4MB)まで拡張したが、1つのアプリケーションから利用可能なアドレス空間は64KBに制限された。

インターネットとUNIXの研究に利用された「VAX-11」(1977年)
PDP-11の後継として開発されたのが1977年に発表された「VAX-11」である。最初のモデルは、きたるべき1978年にちなんで「VAX-11/780」と名付けられた。
VAX-11は、VAX(Virtual Address Extension:仮想記憶拡張)の名前のとおり、32ビット(4GB)仮想メモリ空間をサポートした。数字の“11”はPDP-11との互換性を意味する。実際にはVAX-11の命令は、PDP-11と(考え方は似ているものの)まったく別物なので、PDP-11エミュレーション機能が用意された。「VAX 8600」(1984年)からは数字の“11”はなくなり、「VAX 8650」(1985年)がPDP-11エミュレーション機能を搭載した最後の機種となった。
VAXはインターネットとUNIXの研究に広く使われた。コンピュータ関連の俗語を網羅した「The Hacker’s Dictionary」には「vaxocentrism(VAX中心主義)」ということばが掲載されている。VAX固有の実装が常に成り立つと誤解することである。1980年代のコンピュータ研究者の大半は、何らかのかたちでVAXの使用経験があったと思って間違いないだろう。
【参考サイト】VAX & VMS ものがたり(日本HP)
[URL]http://h50146.www5.hp.com/products/software/oe/openvms/history/vaxvms20/index.html

DEC独自開発の商用OS「OpenVMS」
VAX-11用に開発されたDEC独自のOS。のちにUNIX互換規格であるPOSIX認証を取得し、OpenVMSと改称した。Alphaプロセッサ発表後は、VAX用が「OpenVMS VAX」、Alpha用が「OpenVMS Alpha」と称される。現在はItanium版も存在する。
VAXの開発コード名「Star」にちなんで、VMSの開発コードは「Starlet」と呼ばれた。VMSの基本ライブラリの名称が「STARLET.OLB」(OLBはObject Libraryの意味)なのはその名残である。Starletの開発責任者はデビッド・カトラー(David Cutler)氏で、のちにマイクロソフトでWindows NT開発チームを率いることになる。
OpenVMSはUNIXを参考にしつつ、商用OSとして「すべてがファイル」で「全デバイスが1本のディレクトリツリー」という過激さを取り除いたものになっている。例えば、ディスクドライブは「DUA0:」のようにコロンで終わり、ディレクトリ階層とは厳密に区別された。また、OpenVMSのファイルシステム(FILES-11)は、構造上はいくらでも深いディレクトリ階層を作れるが、ファイル指定は8階層に制限される。不当に深い階層を避けるための制約と言われている。
OpenVMSは、ネットワーク機能(DECnet)を標準搭載した、(当時としては)先進的なシステムで、ファイル名の先頭部が「コンピュータ名::」のプリフィックスを付けることで、どのようなアプリケーションからでもネットワーク上のファイルを指定できた。
2台以上の独立したコンピュータを使って冗長性を実現する「クラスタ」も、商用システムとしては最初に実現した。VMSクラスタは、ノード間にまたがる排他性制御やシステムのディスクの共有も実現しているほか、VAXとAlphaのような異なるシステム間でも利用できるなど、現在においても先進的な機能を持っている。
【参考サイト】OpenVMS 30 周年記念(日本HP)
[URL]http://h50146.www5.hp.com/products/software/oe/openvms/30th/

Windowsもサポートした64ビットのRISC CPU「Alpha」(1992年)
VAX-11は優れたCPUだったが複雑な構造を持つため、価格性能比で競争力を失いつつあった。そこでDECは、VAX後継プロセッサとして1992年に64ビットCPU「Alpha」を発表した。当初は商標問題の懸念から「Alpha AXP」と呼ばれたが、のちに単なる「Alpha」となった。“AXP”は何かの省略形ではなく、「既存の商法を侵害しないこと」「先進的な印象を受けること」「覚えやすいこと」などを考慮してマーケティング会社が決定したと言われているが、DEC社内では「Acronym eXpert is Paid too much(略語の専門家に多額の金が払われた)」の略というジョークがささやかれていた。
Alphaのアーキテクチャ寿命は25年が想定されたが、実際には10年余りで製造が終了した。これはAlphaの技術的な問題というより、Compaq社を経てAlphaの技術資産を引き取ったHewlett-Packard(HP)社が、自社の関わったプロセッサ「Itanium」に注力したかったからだと、多くのDEC出身エンジニアは考えている。
Alphaは、DEC独自のOSであるOpenVMSのほか、DEC製UNIXの「Tru64 UNIX」(DEC OSF/1 AXPからDigital UNIXと改称し、Tru64 UNIXとなった)に加え、Windows NT 3.1から4.0およびWindows 2000ベータ3までが動作した。また、Linuxも利用できた。
当時のインテル系CPUに比べると浮動小数点演算が高速だったため、コンピュータグラフィックスの製作システムなどに応用された。映画「タイタニック」のCGは、Alphaマシンを使って作成された(ただしOSはLinux)。
【参考サイト】HP AlphaServer & AlphaStation(日本HP)
[URL]http://h50146.www5.hp.com/products/servers/alpha/

幅広く普及したビデオターミナル「VT-100」(1978年)
DECのコンピュータに指示をするための端末装置(ビデオターミナル)として広く使われたのが「VT-100」で、1978年に「VT-52」の後継機種として登場した。キーボードとビデオディスプレイを持ち、RS-232Cシリアルポートを使ってホストコンピュータと通信した。
VT-100はモノクロ(黒地に緑または黒地に白)であったが、点滅や反転のほか、アンダーラインや「エスケープシーケンス」と呼ばれる制御機能をサポートし、キャラクタベースだが簡単なグラフィックス機能を実現していた。筆者は、毎年クリスマスにエスケープシーケンスを駆使したアニメーション表示のクリスマスカードをもらったものである。
VT-100の標準表示は横80けただが、132けたモードも備えていた。当時のプリンタで15インチ幅用紙を使う機種の標準的な印字桁が132けただったためである。
VT-100は広く普及したため互換機が登場し、VT-100互換エスケープシーケンスをサポートするターミナルエミュレータも登場した(ただし完全な互換性を持ったものは非常に少ない)。中には「VT-100」を端末の規格だと思っている人もいたようで、筆者はDEC社員時代に「DECの端末はVT-100互換ですか」と真顔で聞かれたことがある。
VT-100は1983年まで製造されたが、その後はより小型で強力な「VT-220」などに移行した。なお、VT-100互換で日本語表示可能な端末として「VT-80」が存在した。

伝説のプログラマー、デビッド・カトラー(David Cutler)
PDP-11のOS「RSX-11M」の開発メンバーであり、VMSのプロジェクトリーダー。のちにビル・ゲイツに請われてマイクロソフトに移籍し、Windows NT開発チームを率いることになった。その後はマイクロソフトのオンラインサービスであるWindows Liveの部門に異動したとされるが、実はWindows Azureの開発に参加するためだと言われている。
デビッド・カトラーは、DEC在籍当時から伝説的なプログラマーであり、退職後には社内の電子掲示板が作られたほどだ。例えば、こんな話が紹介されていた。
顧客「御社では、(PDP-11用OSの)ソースコードには個人名ではなく、チーム名しか書かないんですか」
DEC「え、そんなことはないですよ」
顧客「だって、どれも“デビッド・カトラー”としか書いていませんよ」
顧客は、「どこにも同じ名前が書いてあるので、1人で書いたとは到底思えない。チーム名に違いない」と思ったという逸話だ。VMS以降のデビッド・カトラーが関わったプロジェクトは、そのほとんどがキャンセルされた。Alphaの前身とされる「Prism」プロジェクトもその1つである。Prismのキャンセルは、デビッド・カトラーがマイクロソフトに移籍した最大の要因とされている。Prismのプロジェクトは間接的にAlphaとして生き返ったが、すでにデビッド・カトラーは退職した後であった。
なお、スライドの『闘うプログラマー』(日経BP社刊)は、カトラーがMicrosoftに移籍してWindows NTを開発するドキュメンタリー(現在は「新装版」として復刊されている)。

DECの創業者、ケン・オルセン(Ken Olsen)
MIT(マサチューセッツ工科大学)リンカーン研究所で技術者としてTX-2プロジェクトに従事したあと、1957年にハーラン・アンダーソンとともにDECを創業した。TX-2のベースとなったのはTX-0で(TX-1は設計途中で放棄された)、TX-0をベースにした商用コンピュータがDEC最初のコンピュータ製品「PDP-1」である。
1986年、フォーチュン誌はケン・オルセンを「アメリカで最も成功した起業家」と評し、IEEEは同年Engineering Leadership Recognition Awardを授与した。
「コンピュータは身近で実用的な道具であるべきだ」と考えてDECを創業したが、PCの可能性を見誤り、PC参入に出遅れた。DECが「身近で実用的なコンピュータ」であるPCベンダー、Compaqに買収されたのは皮肉な話である。

XeroxとDECが考案したLAN規格「Ethernet」
1970年にハワイ大学で開発された無線通信技術「ALOHA net」をヒントに、Xerox社パロアルト研究所(PARC)のロバート・メトカーフらが開発した有線LANシステムが「Ethernet」である。最初のバージョンは1972年に特許申請されたが、その後、特許を開放し、IntelやDECとともに1979年にDIX(DEC、Intel、Xerox)仕様として公開した。1980年にはIEEE 802委員会に「Ethernet 1.0」規格を提出し、名実共に標準規格となった。
最初のEthernetはやや太めの同軸ケーブル(Thick Wire)を使っていた。これは、同軸ケーブルに「タップ」と呼ばれる装置を突き刺して、ネットワーク動作中に機器を追加できるようにするためである。実際に「針」や「鋸刃状の金具」を使ったので、通称「バンパイヤ(吸血鬼)タップ」と呼ばれた。
太い同軸ケーブル(Thick Wire)は取り回しに難点があること、バンパイヤタップとコンピュータの中間に「トランシーバ」と呼ばれる電気信号変換器が必要であったため、手軽さに欠けた。
そこで、T型のコネクタと細い同軸ケーブルを使ったThin Wireが考案された。Thin Wire対応のネットワークカードは、カード内にトランシーバ機能を内蔵している。Thin Wireに、ケーブルの取り回しは容易になったが、すべての機器をひと筆書き状に配線しなければならないうえ、なぜかコネクタが緩む事故が頻発した。コネクタは「BNC」と呼ばれ、測定器などにも使われる信頼性の高いものなのに、なぜ緩むのか不思議である。
最終的にEthernetは「ハブ」と呼ばれる集線装置と、より対線を使う形式に移行した。ハブは同軸ケーブルに相当する通信媒体機能とトランシーバ機能を集積した装置である。





















