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【解説】
x86プロセッサの 「これまで」と「これから」
登場して30年――進化し続けるメインストリームCPUの軌跡
(2008年09月22日)
| 写真3:Intelのシニア・バイスプレジデント、パトリック・ゲルシンガー氏はx86プロセッサの進展と共に技術者人生を歩んできた人物だ |
その後、米国Compaq Computerが386を採用したPCを発表すると、PC市場での圧倒的な支配力をIBMは失っていく。当時のIBM PCは、処理速度が386の1/3以下である16ビットCPUの80286を採用していたからだ。
Intelの関係者によると、IBMは、32ビットの性能を生かせるソフトウェアが存在しないことを理由に386の採用を拒否したのだという。IBMは当時、プロプライエタリな16ビットOSであるOS/2を開発している最中だった。
「IBMは当時、上から下まですべてを網羅するアーキテクチャを手にしていた。アプリケーションからOS、ハードウェア設計に至るまで、すべて彼らが開発していた」と、386設計チームの一員でもあったゲルシンガー氏は語る。「IBMは、すべてを提供できる業界唯一のベンダーになろうとしていた。だが、IBMの目指したものは、世代間の互換性が何ら保証されていない世界だった」(ゲルシンガー氏)
そうした状況を、386の登場が一変させた。同氏は、386が垂直統合型だった業界を水平分業型に変え、市場を広く開放したのだ、と語った。
386に続き、1989年には80486が登場する。そして1993年、製品名が数字では商標登録できないことに気づいたIntelは、それまでの命名規則をやめ、第5世代のCPUを80586ではなく新たにPentiumと名づける。Pentiumブランドの下では、Pentium Pro、Pentium II、Pentium Dなど数多くのCPUが開発され、さらにローエンドのCeleron、ハイエンドのCore 2がx86プロセッサに追加された。
名称は大きく変わったものの(もちろん、設計の改良により、スピード/パワー/効率性が指数関数的に向上していることは言うまでもない)、これらのCPUはいずれも、8086から今日まで拡張され続けているx86アーキテクチャをベースとしている。
History of x86
もともとは半導体メモリ・ベンダーを指向していたインテル
Intelは、日本の電卓メーカーであるビジコンの求めに応じて、1971年に同社初のCPUを開発する。だが、同社が設立された1968年、創業者らが最も重要視していたのは半導体メモリの開発であった。実際、1969年にIntelが発表した最初の製品は半導体メモリである。
Intelは約20年間にわたり、メモリ製品の開発に注力していた。だが、元Intelのシニア・バイスプレジデントであるアルバート・ユー(Albert Yu)氏によると、同社は日本の半導体メモリ・ベンダーに押され、1984年には会社存続が危ぶまれる状況にまで追い詰められていたという。
当時のIntelは、利益のすべてをCPUから得ていたが、半導体メモリ事業に研究開発費の80%を費やしていた。「われわれの戦略と投資の仕方は、まったく現実的ではなかった」と、自著の中でユー氏は振り返っている。そして翌年の1985年、Intelは不本意ながらも半導体メモリ事業からの撤退を決断する。
ユー氏は述懐する。「これまで多額の資金を投じてきた事業がうまくいかず、見切りを付けざるをえなかったという自責の念を克服し、その後、われわれは将来の礎とすべきプロセッサ事業に全精力を傾けた。それは困難で苦悩に満ちた道のりであったが、同時にわれわれが本来進むべき正しい道でもあった」
しかし翌年、同社の売上げは16億ドルから12億ドルへと落ち込む。さらに、事業再編によって2億5,000万ドルを失った。
【インタビュー】“ミスターx86”のパット・ゲルシンガー氏が語る「x86プロセッサの成功秘話」


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