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マルチコア・コンピューティング
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【連載コラム】
プロセッサ今昔物語
第2回 長きに渡る競争の幕開けと、Am386 プロセッサの誕生
(2008年10月31日)
日本AMD 代表取締役社長
吉沢俊介
AMDがx86マイクロプロセッサ市場に注力する方向性がより鮮明になったのは、プロセッサが16ビット語長から、32ビット語長になる時期だった。AMDは16ビット製品の80286の製造段階までは、Intelからのライセンスを受け、プロセッサの回路設計情報を正式に受け取り、それに基づいた回路設計を行い、自社のプロセス技術に合わせていくという手法を採っていた(注)。
注:両社が保有するすべての特許を相互にライセンスする包括的なクロスライセンス契約を更新し、Intelを補完するIBM PCのセカンドソース・メーカーの立場
この手法であれば、設計から製造までの期間は短期間で済む。また、80286製品市場ではプロセス技術、製品の改良に長けていたAMD製品が非常に好意的に受け入れられ、ある市場ではIntelを凌ぐシェアを獲得した事もあった。この頃から、x86アーキテクチャをIntelとAMDの2社で広めてゆくという協業に軋みが生じ始めていた。
x86 プロセッサはMicrosoftのDOSと共にIBM PC-ATに採用され、そのPC-ATが互換機市場を生み、PC市場が確立されていく状況にあった。その時点でIntelにとってAMDはパートナーではもはやなく、完全な競合者となった。その結果、32ビット以上の製品に関するAMDへの技術ライセンス契約はIntelから一方的に打ち切られることになり、AMDは独自の32ビット・マイクロプロセッサの戦略を強いられるようになる。
このライセンス契約の破棄に至った過程については、後に大きな係争問題となり、長きに亘り法廷闘争が繰り広げられることとなった。この法廷闘争は1991年に両社和解ということで決着したが、現在AMDはIntelと別件で法廷闘争を行っているため、本件の詳細はここでは敢えて控えたい。
| Am386 プロセッサ |
さて、80386プロセッサ・アーキテクチャは従来の80286から集積度が格段に向上、斬新なアーキテクチャの改良が施されており、その性能も確実に上がっていた。さらにMicrosoftの16ビットOSから、32ビットWindowsへの移行時期と相まって、発表前より市場からの期待も非常に高かった。Intelからの技術ライセンスに基づくプロセッサ製造の道を断たれたAMDは、独自設計による80386クローン・プロセッサの開発に取り掛かることとなった。いわゆる“Reverse Engineering”または“クリーンルーム手法”と言うものだ。簡単に言えば、Intelが80386の設計に使用した内部情報を一切使わず、公開情報のみを頼りに80386と一分も違わぬ動作を保証するクローン製品を作ることである。
早速、特別チームが編成され(チームの編成にあたっては、その親類縁者にIntelのマイクロプロセッサ開発に従事した者がいないかまで調べられた)、社内全体が固唾を呑む中、独自の80386クローン・プロジェクトが始まった。80386のトランジスタ数は36万個と、現在のプロセッサと比べればその集積度は取るに足らないレベルだが、当時の開発ツールやシミュレーション・ツールの状況を考えれば、まさに“Mission Impossible”であった。筆者も同プロジェクトの最中にテキサス州オースティン市にある開発現場を訪れたことがあったが、学校の体育館ほどもある設計用の部屋にマイクロプロセッサ回路の顕微鏡拡大写真が床一面に敷き詰められ、その上を開発エンジニアが黙々と歩き回り、ロジック設計の検証を行っていたのを見たことを憶えている。
当時、AMDはこの拡大写真を現像するため、オースティン中の写真館に毎日大量の現像を依頼していた。そのため、町では“AMDは半導体ビジネスから、写真ビジネスに鞍替えするらしい”なる噂が立ったほどだ。かくして、Ben Oliver率いるプロジェクト・チームは遂に、独自設計による80386クローン・プロセッサの開発を終了。1990年にいよいよAMDも32ビット市場に打って出る事となる。Intelに遅れること5年であった…。
<筆者プロフィール>
吉沢俊介(よしざわしゅんすけ)
日本AMD 代表取締役社長
1956年3月13日生まれ。1986年AMD入社。同社マーケティング部長、代表取締役副社長等を経て現職に至る。
趣味はウォーキングと世界のビールを飲むこと。
座右の銘は「Never give up !!」
- プロセッサ今昔物語
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